今日もとても暑かった。
京都駅から歩いて幽霊子育飴を買いに歩きました。
途中、耳塚を撮影しました。京都駅から歩くと富国神社(豊臣秀吉の御祭神)の前をよく通ります。その西側に立てられています。
秀吉の命令で朝鮮出兵が行われ、戦功の証に鼻や耳を削ぎ落とし塩漬けにして持って変えられたとされています。その中には老若男女問わず削ぎ落とされたという話です。恐ろしいことです。
幽霊子育飴が売られている「みなとや幽霊子育飴本舗」につきました。看板がすこし恐ろしげです。
![](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi1PzjclX_cxm7pyPAjYsEiN-QMQvuDsd2e-O84HUbPj9TVAhVnCR3P5NH_1CASGxtt8rRNV89iKs1R3On2gH6aTmrm1vApeHLfxp68aSB2vcZMAKiTcEwdVJSfx80hM2Qss6j1DyQxY_0V/s320/DSCN0015.jpg)
ある夜表の戸を叩く音で出てみると青白い女が一人。「えらい夜分にすみませんが、アメを一つ売っていただけませんか」と一文銭を出して言う。次の日もまたその次の日も、同じように一文銭を出して買っていく。それが六日間続く。
「あれは、ただもんではない。明日銭持ってきたら人間やけど持ってこなんだら、人間やないで」「なんでですねん」「人間、死ぬときには、六道銭というて三途の川の渡し銭として、銭を六文、棺桶に入れるんや。それを持ってきたんやないかと思う」
七日目女はやはりやってくるが、「実は今日はおアシがございませんは、アメをひとつ・・・」と言う。「よろしい」とゼニなしでアメを与えてそっと後をつけると、二年坂、三年坂を越えて高台寺の墓原へ入っていく。そして、一つの塔婆の前でかき消すように消える。
掘ってみるとお腹に子を宿したまま死んだ女の墓。中で子が生まれ、母親の一念でアメで子を育てていたのである。この子、飴屋が引き取り育て後に高台寺の坊さんになったと言う。
母親の一念で一文銭を持ってアメを買うてきて、子どもを育てていたという。
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