2009年3月15日日曜日

流れ橋までのサイクリング

今日は天気も良かったので家族でサイクリングへ行きました。

家から流れ橋(四季彩館)までの道のりはここ数年の我が家のサイクリングコースです。

緑と水辺のやすらぎ回廊
木津川周辺を整備した四季折々の自然に親しめるように整備された川辺の散策路

木津川の表示石

百本桜。
桜には少し早いようです。

つぼみもまだこの状態。
桜が咲いたらまたお弁当を持って来よう。

今日の流れ橋

流れ橋からの眺め。

土手から見た流れ橋。

流れ橋の表示石
やわたの流れ橋は本当の名前は上津屋橋(こうづやばし)といいます。
過去に何度も流されたので流れ橋と呼ばれるようになりました。

【流失記録】
1953年(昭和28年) 8月15日        8月の豪雨
1959年(昭和34年) 9月25日        伊勢湾台風
1961年(昭和36年) 6月24日        梅雨の豪雨
1972年(昭和47年) 7月10日~17日   7月の豪雨
1974年(昭和49年) 7月10日        7月の豪雨
1976年(昭和51年) 9月 8日~13日   台風17号
1982年(昭和57年) 8月 1日~ 3日   台風10号
1985年(昭和60年) 6月21日~7月17日 梅雨の豪雨及び台風
1986年(昭和61年) 7月20日~22日   梅雨の豪雨及び台風
1990年(平成 2年) 9月19日~20日   台風19号
1992年(平成 4年) 8月19日        台風11号
1993年(平成 5年) 7月 5日        7月の豪雨
1994年(平成 6年) 9月30日        台風26号
1995年(平成 7年) 5月12日        5月の豪雨
1997年(平成 9年) 7月26日        台風9号
2004年(平成16年) 8月 5日        台風11号

【流れ橋の発想】
 「流れ橋」の大きな特徴は、最初から流れる事を計算して造られていることです。
 これは、流れてもかまわない、初めから頑丈に造らずに流れたらまた造りなおすという発想によるものです。それと同時に、橋板が容易に流れることにより流木やゴミ等の漂流物が橋に引っ掛かることによっておこる、堤防の決壊などの損害を未然に防ぐことができます。流れることによって被害を最小限に食い止め、橋板をひも等で連結しておくことによって水が引いた時の復旧がしやすくなります。
 これは日本人の、降水量が多く国土の70%以上が急な傾斜の山林地帯という自然条件の中で、自然に逆らわず共存していこうとする生活の知恵が生み出したものであります。

【流れ橋の起源と特長】
 「流れ橋」は、もともと川幅の狭いところに板を渡し、その板が流されてしまわないように紐などで結んでおいたものがその原型だと考えられています。自然の飛び石を利用したり、川幅に合わせて造った橋脚に板を渡したりしたものが橋に発展しました。
 流れ橋は、その規模や構造によってそれぞれ違いや特徴があります。単純で原始的な1枚板の橋ならば、ちょっとした増水でもすぐに流出します。しかし、上津屋橋のように橋板と橋桁が複雑に組み合わり、ワイアーロープでしっかりと橋脚に連結されている大掛かりなものになると、水位が上昇しても流出しにくいようです。上津屋橋が初めて流出したのは、昭和28年に、水位が橋面から約30cm程度上昇した時であるという記録もあります。

【流れ橋の由来】
 「流れ橋(上津屋橋)」は、淀川の支流として京都府南部を流れる一級河川・木津川に架けられた、全長356.5mの日本最長級の木造橋です。梅雨や台風がもたらす豪雨のために水位が上ると、橋板や橋桁が流れ出すという独特の構造をしています。
 流れ橋は、昭和28年(1953年)3月の架設以来、52年間に通算16回の流出を記録しています。(2009年3月現在)
 この橋の架かる地区では、江戸時代から明治の中頃まで木津川をはさんで両岸が上津屋村と呼ばれ、日常生活を送る住民はもちろん、八幡の岩清水八幡宮に参拝する人たちも互いに渡し舟を利用していました。しかし、渡し舟だけでは不便だという地元の強い要望もあり、限られた予算内で、洪水の水の流れを阻害しない構造であることをふまえ、現在の位置に「流れ橋」が完成しました。
 一般的には、「上津屋橋」という名前よりも通称「流れ橋」で通っており、中学校の教科書などにも「名橋」として紹介され有名になっています。今でも城陽市と八幡市を結ぶ自転車歩行者専用道路として、朝夕はもちろん昼間でも多数の人々が利用しています。また、白砂の河原と清流によく調和し、のどかな趣はテレビ、映画の時代劇等の撮影にしばしば利用されています。
 このように、半世紀にわたって「流れ橋」は地元の人々の生活手段として気軽に利用されてきました。また一方で、住年の土木技術者の知恵と工夫を今に伝える「文化財」としてのみならず、日本の原風景を今に残す場所として多くの人に愛されています。

【流れ橋の構造】
 流れ橋(上津屋橋)の構造は72径間の木造橋(延長356.5m、全幅員3.3m、有効幅員3.0m)であり、流れ橋という名のとおり、出水時には一定の水位(概ね橋面まで水位が上昇した時)に達すると全長を8分割して橋脚に連結された上部工が流れる仕組みになっています。
 なお、橋長356.5mというのは、木造橋では日本最長級であるといわれています。
 橋脚は全部で73基あり、うち56基は木造ですが城陽側の17基は昭和40年代にコンクリートの橋脚に改築されています。木造の橋脚はその多くが末口22cmの杉丸太の抗木3本と控木2本で支えられていますが、洪水時に上部工を流出から防ぐ役割をしている繁留橋脚は抗4本(控木は2本)となっています。
 上部工は末口22cmの杉丸太4本からなる橋桁の上に厚さ7.5cm、幅20cmの橋板が敷き詰められているだけの構造となっているため、水位が上昇するとこの上部工が「川面に浮かぶ」こととなります。単に浮かぶだけだと下流へ流されてしまうことから、8つに分割して、ワイヤーロープで繁留橋脚にがっちりとつなぎ止められており、洪水時にはまるで上部工が筏流をしているように見えます。洪水が去ると、ロープで繋ぎ止められていた上部工を再度敷き並べ、また元のとおり復旧することができるようになっています。
 昭和28年といえばまだ戦後間もない時期だけに、いかに安価でしかも洪水による損害の少ないものを造るかという、当時の技術者が知恵を絞った後が想像できます。
(資料提供:京都府田辺土木事務所)

石田神社の手水場(ちょうずば)
いつも花がいけてあって風情があります。

四季彩館
今日は日曜日なので朝市やってました。

売店でコメ粉抹茶アンパンを買いました。
もちもちしてとても美味しかったです。

帰りにシロツメクサの花が咲いてましたので、四葉のクローバ探し。
たくさん見つかりました。少し幸せな気分です。

どこからかてんとう虫が飛んできました。
結構風が冷たかったですが、もう春が来ているのですね。


アルバムもあわせてどうぞ。


春の百本桜の様子。(2008/04/06)

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